<< January 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2009.11.09 Monday

有名人の概念

油断してるとすぐにブログが停滞する昨今。

Twitter / おちやん: 津田氏が自分のアカウントで自著の宣伝してるの見て思っ ...
津田氏が自分のアカウントで自著の宣伝してるの見て思ったけど、blogやtwitterは規模がでかくなるほど有名人はほとんどダタで簡単に大勢に広告することができるな。日本より規模が何十倍の米国はとっくに営業格差は出てるんだろうな。


昔と「有名人」の概念が変わってきてるんだろう。
寒い言い方したら有名人1.0と有名人2.0
わー、寒い。
やめとこ。

昔の有名人はメディアに乗ることができる人。
テレビに呼ばれる、出られる
本を書かせてもらえる、出せる
CDを出してもらえる、出せる etc...
メディア・媒体側からオファーがあって
そこに出る価値があると思われている人
というのが有名人だったような気がするが
編集権のようなものまで持っているケースは少ない。
(ラジオの生放送なんかだと、有名人側の裁量が大きめだったりするけど)

一方今後の有名人は自分でメディアを持っている人
自分がメディア化している人
編集権を持っている人。
自分の裁量で直接自分の言葉を伝えることができて
それを聞いてくれる、見てくれる人が一定以上いる人
これが今後の有名人ってことだよな。
ホームページ、ブログ、twitter等々。
2009.05.07 Thursday

ポジショントーク

ポジショントークって何よとか
ポジションの無いトークなんかあんのか
みたいな話があるんですけど
wikipedia見ると
ポジショントーク - Wikipedia
ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア・媒体などを通して行うことを指す。

ということなんで、意図があるかどうかがポイントなのかな。

ポジションの無いトークなんてものは
まあないっちゃないんでしょうけども
意図以外にもそのポジションに自覚的かどうか
っていうのはかなり大きい気がします。

意図も自覚も外からみたらわからないので
ポジショントークのつもりはなくて
客観的な発言をしているつもりでも
外からはポジショントークに見られる
ってことがあるのは仕方ないな。
2009.05.06 Wednesday

実利じゃなくて娯楽ですよ

私が「Twitter」を受け入れられない理由:コラム - CNET Japan
私が「Twitter」を受け入れられない理由


書いてあることはまあわかります。

私には個人的な情報やとりとめのない思いを、なぜ世界に向かって垂れ流す必要があるのか理解できない。Twitterはまさにそのために設計されている。 Twitterは、友人のみならずウェブサイトをうろついて赤の他人のくだらない物思いに目を通すひまのある人間たちに向けて、頭に浮かんだもろもろを思いつくまま伝える手段となるべく作られたものだ。


ブログも多かれ少なかれそうだし
この元記事だって多かれ少なかれそうだと言える。
自分はtwitter気に入らないというとりとめもない思い。
(を、周囲への聞き取りなどして肉付けしてあるけど。)
そもそも「必要」があってやってる人などいない。
いや、いるのかな。
そういう必要性に向けて設計してるとは思えないけど。

こういうのはブログが流行り始めたときにも
同じようなことがあちこちで聞かれたしSNSでも同じで
携帯メール中毒でもポケベルでも同じだった気がする。
特に「コミュニケーション」を目的とするツールが
出てくれば今後も同じようなことが言われると思う。
そういうコミュニケーションって特に「必要」ないから。

僕が思うに答えらしきものは2つあるかなと思っていて
ひとつは「おもしろいから」というみもふたもない結論。
coolでもsexyでもいい。
別に便利だから使ってるわけでもないし
実利的に価値があるから使ってるわけでもない。
番犬として役に立つから犬を飼うっていう人は
どれぐらいいるか、みたいな。
かわいいから飼う。犬が好きだから買う。
そういうレベルの話かなと。

もうひとつは
多くの人はコミュニケーション中毒だっていうことかな。
でもって娯楽としてのコミュニケーションには必要性なんて無い。
だって娯楽だから。
ということは1つめの答えと同じか。
続きを読む >>
2009.04.01 Wednesday

ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました

did
ダイアログ・イン・ザ・ダーク はじめての方へ
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、まっくらやみのエンターテイメントです。

 参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。
 その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。


先日ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベント?体験展示?
に行ってきました。
完全な真暗闇で見知らぬ人8人+アテンド1人。
視覚を完全に奪われた状態で何が起こるか。

サイトのトップページには
「人に、やさしくなれる場所。」
とあったんですが、最初は全く意味が想像できませんでした。
でも体験した後ではなるほどなぁと腑に落ちます。

中で何が起こるか、どういう体験をするのかということは
ネタばれになってしまうので書けないですが
具体的なことは何も知らずに体験することがとても大事だと思います。
少しでも興味を持った人がいて
チケットがまたとれるなら確実にお勧めします。
体験した人同士でないと話せないことも多いので
僕の周りの人には特にお勧めします!

月が出ていなくても夜空が明るい東京において
何分たっても一切暗闇に目が慣れることがない
という体験はいままでしたことがなかったので
そのことだけでも価値はあります。

見えなくても人は見ようとするんだなという
人の認知に関わる興味であったり
コミュニケーション手段が声と身体的接触に制限された空間で
人がどのようにふるまい、どのように行動するのかという
アフォーダンスや行動心理学的な見方からも興味深いと思います。

いやぁ、なかなか得がたい経験でした。
また機会があれば参加したいと思います。
そのときはきっと初回とは違った行動をとるでしょうし
違った経験を持ちかえることだろうと思います。
2009.03.28 Saturday

知ってたけど気づいてなかった

たぶん同じようなことを何度も書いてるんですが
気にせず書く。

僕はメッセがけっこう好きで
というか役に立つ事があって
文字にする事によって
自分で自分の書いた文章を読んで
ようやくそこで何か発見する
ということがとてもたくさんある。
会話だと流れちゃうんでもったいない。
むしろ口頭の会話も全部ログとって
スカウターで見たいぐらい。
これできたらいいんだけどなぁ。

それはさておき
1.自分の頭の中に要素/パーツとして存在する知識
2.書くなり話すなりして一旦outputした文章/文脈
3.2をあらためて見ることによるinput
という1〜3の状態は全部バラバラってこと。
1と2の間には会話によるインタラクションで
何らかのエフェクトがかかっている。
2では「理解」とは直結していなくて
3の段階ではじめて「理解」と言えるようなことがある。

1と2の間に関していうと
メッセで「聞き役」になってくれる人がいると
とてもいいんですよね。
前の会社の同僚がまさにそれで
全く話が通じないわけではなくて
でもそんなに深く色々と知ってるわけではなく
好奇心が強いので相づちだけでなく
質問もしてくる、というような。
それでもって趣味レベルの話もよく通じるので
ネタ的な比喩とか軽口も叩ける。
それはもう単なる会話というより
インタビューですよねっていうやりとりがあると
自分の言葉ですごく色々発見できる。
知ってたけど気づいてなかった、みたいな。
そう考えると彼女は相当優れた聴き手だったんだな。
もしかしたら好奇心じゃなくて
つきあいとして聞いてくれてただけかもしれないけど(笑)
2009.03.16 Monday

頼れる人がいないというチャンス

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 娘親限定「女の子が幸せになる子育て」
たとえば、女子校のメリット。それは、「男女の役割分担からフリー」であること。共学だと、重いものを運んだり、荒事・電気配線は「男の子」、被服・飾りつけ・飲食関係は「女の子」と振られてしまう。女子校の場合、すべて自分で行う必要が出てくる。その結果、共学では出会えなかった得意分野に気づく可能性が広がるという。なかでも一番育つのは「リーダーシップ」だという。なるほどなるほど。


なるほどなぁ。
と思ったと同時にこれは女子校に限らず又は男子校に限らず
あらゆる環境でおこりうることだよなと思う。
自分より20も30も年長の人たちと一緒に働く環境と
同年代ぐらいの人たちだけと働く環境でも
課せられるミッションはおのずと変わってくる。
ボーイスカウトなんかもそういうところがあって
10代や20代で、自分より小さな子供たちの
命や安全を預かるような経験をすることがある。
つまりは「頼ることのできない」「誰かに任せっきりにしない」環境
というチャンスが大事であるっていうことに一般化できるかもしれない。
人間、負荷かからないとやれないですよ。普通は。

いろいろな「偏った環境」での生活というのは
「そんなに偏りのない普通(ってどんなだ)の環境」
での生活に役立てることができる、というか
普通を相対化して考えることができるという点でも
いろいろとメリットのあることなんだろう。

かといって自分がもう一度人生やりなおすとして
高校生活を同じように男子校で送りたいかというとあれなんだけど!

最近のエントリー

最近のコメント

カテゴリー別アーカイブ

月別アーカイブ

プロフィール&リンク

検索

Search this site.

Booklog

twitter