私が「Twitter」を受け入れられない理由:コラム - CNET Japan
私が「Twitter」を受け入れられない理由
書いてあることはまあわかります。
私には個人的な情報やとりとめのない思いを、なぜ世界に向かって垂れ流す必要があるのか理解できない。Twitterはまさにそのために設計されている。 Twitterは、友人のみならずウェブサイトをうろついて赤の他人のくだらない物思いに目を通すひまのある人間たちに向けて、頭に浮かんだもろもろを思いつくまま伝える手段となるべく作られたものだ。
ブログも多かれ少なかれそうだし
この元記事だって多かれ少なかれそうだと言える。
自分はtwitter気に入らないというとりとめもない思い。
(を、周囲への聞き取りなどして肉付けしてあるけど。)
そもそも「必要」があってやってる人などいない。
いや、いるのかな。
そういう必要性に向けて設計してるとは思えないけど。
こういうのはブログが流行り始めたときにも
同じようなことがあちこちで聞かれたしSNSでも同じで
携帯メール中毒でもポケベルでも同じだった気がする。
特に「コミュニケーション」を目的とするツールが
出てくれば今後も同じようなことが言われると思う。
そういうコミュニケーションって特に「必要」ないから。
僕が思うに答えらしきものは2つあるかなと思っていて
ひとつは「おもしろいから」というみもふたもない結論。
coolでもsexyでもいい。
別に便利だから使ってるわけでもないし
実利的に価値があるから使ってるわけでもない。
番犬として役に立つから犬を飼うっていう人は
どれぐらいいるか、みたいな。
かわいいから飼う。犬が好きだから買う。
そういうレベルの話かなと。
もうひとつは
多くの人はコミュニケーション中毒だっていうことかな。
でもって娯楽としてのコミュニケーションには必要性なんて無い。
だって娯楽だから。
ということは1つめの答えと同じか。