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2008.01.02 Wednesday

量の変化が質の変化につながる

去年は3ヶ月ずつ毎日、讀賣、朝日
の各紙をとってたのですが
今年に入ってからはどこも継続していないので
郵便受けも静かな正月を迎えました。
でもあれですね。チラシはやっぱ欲しい。
チラシだけ入れてくれるサービスって無いのかな。

大晦日の朝日新聞に茂木健一郎の記事が出ていて
その中で印象に残った言葉があったので
メモっておきます。
「人間の脳っておもしろくて、『ボールを投げたら落ちる』
 とは予想できるんですが、変化を積み上げていって、
 量の変化が質の変化につながるようなものを
 予測するのが苦手なんです。」
脳の作用によるものかどうかはさておき
量の変化が質の変化につながるようなものを
予測するのが苦手というのは、スコープの違い
ということもあるんじゃないかと思う。
以前に
web2.0高速道路論
という文章を書いたことがあるんですが
これもミクロとマクロの視点の違いの話で
それらを同時にあるいは並列的に考えること
っていうのはなかなか難しいものだろうと思います。
そもそもの問題として自分の立ち居地や
自分が物事を見るポイントがどこにあるか
ということに自覚的なケースが少ないんじゃないだろうか。
逆に言えば、自分が何かを感じたり考えたりするときに
どういう立ち居地での見方、考え方なのか
ということに自覚的であれば、ポイントを変えて
物事を見たり考えたりすることもできるし
量の変化が質の変化につながることを予測することも
可能になるのかもしれない。

「量の変化が質の変化に転化すること」
というのは重要なポイントなので覚えておこう。
2008.01.01 Tuesday

共有の概念

先日LUNARRの高須賀社長とお会いして
お話を聞く機会があったのですが
その中で最も興味深かったのは「共有」の概念について。
高須賀社長はアメリカで会社を立ち上げられて
いろんな人たちと話をする中でその概念の違いに
気がついたということをお話されていました。

share
━━ n. 分け前; 割当て, 分担; 役割 ((in)); 株(式); 市場占有率, シェア.

「シェア」と言う場合に
アメリカでは「分割」であり
日本では「君のものでもあり僕のものでもある」
という状態が多いのではないかと。
例えばピザをシェアしましょうという場合に
アメリカでは何分割かして明確に取り分けるところを
日本では何分割かするものの、取り分けないで
そのまま置いておき、そしてどちらがとっても
よいですよ、という状態にしておくために
最後のひとつは誰が食べますか問題が発生する。

アメリカの話についてはわからないものの
日本の例については確かに。

そして「共有」という場合に
shareとcommonがあると。

com・mon
━━ a. 共通の, 共有の ((to)); 【数】共通の; 公衆の; 一般の, 普通の; 平凡[通俗]な; 安物の; 下品な (〜 manners 無作法).

shareと対の概念としてcommonを捉えていいのかは
わからないのですが、そもそもshareの概念が
アメリカと差があるところにcommonを考えると
いろいろずれてくるのかもしれない。

publicとprivateと考えれば
shareはprivate化することであり
commonはpublic化すること、かな。
だとすると日本でいうshareはprivateというより
publicの意味合いも含んでる気がする。

でもなぁ、shareといっても
物理的な分割の概念と
データコピーの概念を
同じものとして捉えるのも無理がある気がするし。
shareとcommon、privateとpublic。
もう少しこのあたり考えてみることにする。

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