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2009.05.29 Friday

日本人とマスク

新型インフルエンザの関連で
マスクがどこも売切れだみたいな話で
日本は異常だって言われたりするんですけども
・もはや国民病としての花粉症
・満員電車での通勤
の2点が大きいよなぁと思います。

日本以外の国で花粉症がどういう状況なのか全然知らないですけど
日本では花粉症の人はとても多いし
「予防として」マスクをすることに何の抵抗も無くなってますよね。
だってマスクしないと辛い、ていう個々人の話。
そのため自衛手段としてのマスクはすっかり一般化。

それと同時に日本以外の国ではおそらく稀であろう
満員電車での毎日の通勤。
あれだけ人口密度の高い密閉空間てそうはないですよ。
あの空間では「感染るかも」っていうリスクを
個人が感じるには十分過ぎますよね。

という2点を抜きに異常とか言われても。
そもそも満員電車が異常なんだぜ。
2009.03.11 Wednesday

3歳児がyoutubeで見るもの

うちには3歳の男児がおりまして
彼はピングーと電車とピタゴラスイッチが大好きです。
DVDは勝手にケースから出してプレーヤーにいれて再生したりします。
嫁の携帯を操作してワンセグで録画してあるアンパンマンを見たりします。
たぶんこういうのは最近みんなそうなんでしょう、おそらく。

最近では嫁がノートPCでyoutubeにある電車の映像を見せていて
N700系だとか、こまちとはやてが連結してるのだとか
山手線と京浜東北線が向かい合わせのホームで
ひっきりなしに発着してる映像とかそういうのを
喜んで見ております。
おかげで僕も嫁も鉄分が高まってきました。

そんな3歳児が嫁が席をはずした好きに
勝手にマウスをさわって、いろいろとyoutubeの中を徘徊しており
気がついたらこんな映像を見ておりました。
真剣な顔で。




シュールすぎる。
腹筋がつるぐらい笑いました。
2009.03.04 Wednesday

子供を守るということ

ほんとにほんとによくわからないことなんですが
「子供を守る」という名目で
いろんなことを禁止したりするじゃないですか。
最近だと携帯がよく話題にあがってますが
携帯でいろんなサイトを見ることで犯罪に巻き込まれる
だから学校には持ち込ませないんだ云々。
でもいろんなサイト自体はあり続けるわけだし
子供はそのうち大人になります。
学生から社会人になって一気に保護がなくなって
携帯もっていいよ。好きにしていいよというタイミングで
それまで見たこともなかった世界に突然飛び出す。
そのほうが大変なんじゃないだろうか。
落差もショックも大きいですよ。
必要なのは禁止じゃなくて教育だったり
小さなところから慣れることだったりするんじゃないだろうか。

学校教育の中で競争をあおらないようにするみたいな話も
けっこう昔から議論されてることで同じ構図ですよね。
無菌室みたいに競争の少ない学生生活をおくらせたところで
社会に出たら競争だらけなわけですよ。
そりゃ就職活動で挫折もするわっていう話ですよ。

他にもいろいろこういうことあると思うんだよなぁ。
禁止したら安心。みたいな感じのやりかた。


子供はいずれ大人になるんだ
ということを忘れてるとしか思えないんだよなぁ。
2009.02.23 Monday

明日と来年の優先度

A:今日、明日、今月の為にやるべきこと
B:半年、1年、5年後の為にやるべきこと
というような性格の事柄があるとします。
たいていはBの方が不確実性が高い。
つまり短期的で確実性の高い事と
中長期的で不確実性の高い事の選択を
有限のリソースの中でやらなければいけない
みたいなことがよくあります。
これ別に仕事じゃなくても個人の生活の中にもありますよね。
今日明日のために役立つ資格取得の勉強なのか
すぐ役立つかどうかわからない語学の勉強、とかね。

何が言いたいかっていうとですね。
AとBをそもそも同列で比較することが無理で
折り合いつけて両方やる以外にないんじゃないか
なんてことを思うわけです。

確実性不確実性の軸で考えてもそうだし
AとBはリニアに存在しているわけではなく
Aの延長上にBがあるわけでもない(事が多い)。
一直線上にあるのは珍しいかたいてい勘違いじゃないかな。
或はそうなるはずだという信念。予言。見通し。

明日のない来年はないし
来年のない明日も辛い。
どっち選ぶんだっていってもねぇ
両方やらなくちゃいけないんですよ。
どうハンドリングするかですよ。
で、それが難しいと。
2008.10.28 Tuesday

獲得目標としての個性

今から中二っぽいこと書きます。

個性って何だろうっていう話があって、
誰でもそれぞれ個性があるんだという生得的なものとする論と、
個性なんて差異化ゲームの結果だよというような論と、
隠そうとしてもにじみ出てしまうものだという論もあり、
でもアーティストにとっては獲得目標だろうというのもあって、
個人的には最後のものが一番しっくりくる。

ちょっとした違いというのであれば
見た目同一の個体はいないという前提で
すでに個性なんか獲得されとるわけだが、
あの人はこう、この人はこうって認識される差異が
それもプラスの差異が必要というのであれば
ぼんやり生きてて得られる程度のものでは
おそらく足りない。

しかもそれが商売上の優位点や
孤高としての存在価値の話なんかになってくると
そんなものはやはり獲得目標であって
個性的な地位を認められるには
ブランディングにも近い行動が必要だろう。

差異はもともとあれども
有意な差異はなかなか得がたい。
っていうのが結論かね。

2008.10.12 Sunday

謙遜のフォーマットで自慢する

マイミクの日記にコメントをつけたときに
「謙遜のフォーマットで自慢」というフレーズを思いついたんですが
これなかなか面白いなと思ってブログにも書いておく。

わかりやすいようにしょうもない例をあげますと
「いやー、僕なんかたいしたことないですよ。たかだか東大卒ですから」
とか
「日本語以外だと英語ぐらいしか話せないです」
みたいなことです。

まあもちろんこれが完全に謙遜にしかならないシチュエーションもありますし
そういう場面で本当に謙遜の意味合いで発せられる場合もあるでしょうが
たいていの場合は自慢にあたるでしょう。

おそらくストレートに自慢するとかっこわるい、というのが
意識の中にあるので、謙遜的なフォーマットを利用するんじゃないか
とか思ったりするんですが、どうなんでしょうね。

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